FC2ブログ
<?php include_once("analyticstracking.php") ?> QLOOKアクセス解析
-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013-07-15 09:57 | カテゴリ:あり方
smina-office


成功者というのも、いろいろいそうですが、、「七つの習慣」という書籍は世界ではかなりの人が読んでいる自己啓発本として有名なものです。

いろいろな成功事例を研究し、体系立てたものとして、非常に成功といわれるものの原理原則に則ったものだと。

その中で、自分が影響された話に、○○中心、というのがあります。


書籍の中に、あなたの中心がわかるアンケートみたいなものもありますので、ある程度現在地はわかるかもしれませんね。



みなさんどうでしょう?

みなさんが物事の選択するのに、判断基準にしているのは、いったいなんでしょう?



お金、という人もいれば、家族!という人もいれば、仕事~という人もいるかと。


これも正解不正解はありません。

その人のもっとも大事にしていることだから。価値観みたいなものでしょうし。

価値観に近いんだけど、ちょっと違うらしいですけど。



ただ、どうでしょう。

例えば、、、


お金を中心にしている人がいたとして、お金がなくなったら、めちゃくちゃ不安に思いますよね。

仮に、お金があったとしても、お金がなくなることへの恐怖心ってないでしょうか。

いっくら稼いでも満たされない、みたいな。



仕事中心の人もどうでしょうか。

定年になって仕事がなくなったらどうしますか?

自分だったらそんなラッキーなことはない!ってそこら中に旅に行きたいと思いそうですけどねw

きっとそういう人は、シニア再雇用みたいなので、働いちゃうんでしょうね。

バリバリの団塊世代のうちの親父なんて、まさにそんな感じ。

これはまだ良くって、リストラ、なんてことでもあろうものなら、人生終わったみたいなことにもなりかねないでしょう。



要するに、何かに執着するということは、それを失う恐怖や、それがなくなった時の空白というのが大きくなってしまう、というものです。

そしてなによりも、物事を見る角度がそこ一点になってしまっていることから、視野が狭くなり判断が不適切にもなりかねない、ということです。

その今の自分の中心以外が、おろそかになってしまう。


仕事やお金が中心にあったりしたら、家族がほっとかれたりということかな。


オリンピック選手や、プロのスポーツ選手とか、突出してどうしても時間をかけないと行けないものがある人は、仕方ないですよね。

そういうものを目指しているわけですから。

でも、それが終わったあとって、どうなるんでしょうか。。

そこで唱えられているのが、原則中心、というものです。


要約すると、


原則とは、例えば「正義」の土台となる「公平さ」であったり、「誠実」「正直」といった人間関係に必要な土台であったり、「奉仕」や「貢献」、あるいは、「可能性」という原則もあると。他にも「忍耐」「犠牲」「勇気」といった原則も。

つまりは、原則は、ある特定の状況でしか使えない手段や手法といったものではなく、基礎的な真理であり、普遍の応用力を持ったものである。

そして個人、人間関係、家族、あらゆる組織に当てはめることができ、自分が直面しているあらゆる状況に対応できる手法を自分で打ち出すことができるのだ。

あとは、価値観とも違う。

正しい原則に価値を置けば、真理-物事のあるがままの知識-を手に入れることになる。


という感じです。


正直、自分も確実に理解しているとは思えないですけど、実践しようといつも考えています。


自分が判断を下すうえで、視点が一点に集まっていないか、あるものにが凝り固まっていないか、それによって、もっと大切なものを見過ごしていないか、というようなことと理解しています。

まぁ、焦点があるものに集中していたら、もっと大切なもの、といっても、気づかないんでしょうけど。



自分の判断基準は、「楽しいか楽しくないか」、であるのだけど、その楽しいという判断のよりどころは、いろいろな側面から比較してみて、何を選択すべきなのか、どうしたらもっとも楽しい判断になるのか、というようにしてるつもり。


例えば、遊びに行く予定があるのだけど、いきなり仕事も入って来たぞ!


ここで仕事が一番の優先事項になっている人であれば、せっかくの誘いも簡単にことわっちゃうでしょう。

そして人間関係がだんだん悪くなていく、とか。

お誘いもこなくなっちゃうとか。よくあるパターンと思います。


こういった時も、いろいろな、いろいろな手段を考える。


その中には遊びをお断りするのも選択肢の一つだし、仕事を後回しにするのも選択肢にある。

あるいは、仕事を他に回せないか探すということもできる。

今日から残業規制無視して一気にやってしまおうか、とかも、ね。


とにかく、あらゆる方法を探して、もっともハッピーになる選択をするようにしています。


結果として、遊びをけったとしてもその思考の過程が、いきなり遊びを捨てる仕事人間なのか、いろいろ探ったがどうしてもそういう選択になった、というのとでは大違いなのではないかな、という見方をしています。


そういうのは、一緒に遊びに行くはずの人だったり、職場の人間だったりも、見ているはず!

見てるはず!

と思ってたんだけど。。。まぁ、少なくとも、上司はわかってくれていた!


そしてもうひとつは、何か失われた場合、例えば、職がなくなったという場合、他にも楽しいことは何かとい考えに基づけば、仕事なんてどうでもいいことに思えるし、逆にもっと面白い仕事ってなに?って考えたくなるかもしれない。


仕事中心になっている人はどうだろう。

中には「今」の仕事を手放すことができないため、転勤や職場配置転換だけでも多大なダメージを受けるのではないかとか。

人によっては、自ら。。。


派遣をしている時に聞いたことがあります。

その人は、研究の部署から、品質管理か何かの部署に異動を命じられたとか。

たったそれだけです。でもその人にとっては、ものすごく重要なこと。

自ら命を絶ってしまうほど。人生=研究。。


自分も完璧な解釈は出来ていないように思うし、いやいやそうじゃないよ君、という意見もあるかと思いますが、とにかく、判断基準を、原理原則に則ったものにしてみてはと。

せめて、一つの具体的なものでなくって、もっと広いものに価値を持って行ってはどうかって。



そうそう。まぁ、しょうもないことなんですけど。。


先日、最近知り合いになった人たちと京都で飲み会という話があがってね。自分は名古屋人です。

「単なる飲み」のために京都に行くって、ちょっと気ーくるってまっせ!っておもうでしょう?

思うよね。


当然家族というか、嫁からしたら、「京都に一人で行くん?しかも飲みに行くだけ?アホちゃう?」って。

まぁ、そこで自分なりの楽しい選択をいろいろ考えてみた結果、、、そうだ。みんなで京都にいこう!って。


飲みに行くだけにしては旅費が高いし、かと言って断るにはもったいない人たちだし、一人で行くのもちょっと気が引けるし、最近仕事が忙しすぎて家をまったく見ていなかったなぁ、といいろいろな問題が一気に解決するわけ。

一人で行くよりは多少お金はかかるけど、それ以上に楽しい選択だった、と満足しています!

嫁はどう思っているかわからないけどねw



実は、次は広島がまってんだよなぁ。

ただ飲みに行くのに、広島って。。



とにかく、自分の判断基準がぶれないことは大事なんだけど、一つに凝り固まらずに、いろいと、状況に合わせたベストを模索する、そして、なにより、それを行動にする。


きっと周りからも、もっと理解されるようになると思います!


       参考書籍


1億円の公式


   ブログランキング・にほんブログ村へ   

関連記事
スポンサーサイト

管理者のみに表示する

トラックバックURL
→http://atunaka02.blog.fc2.com/tb.php/6-28471365
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。